銀座 高橋洋服店

Essay

第2回 良い洋服ってなんだろうか

2012.10.01

私がロンドン・カレッジ・オヴ・ファッションに在学中のある日、チューターであったジョージ・ジェンツ氏から、「洋服のコンテストがあるから興味があったら連れて行ってやる」と言われたことがありました。
「学生のコンテストですか?」と訪ねると「いや、全国の職人が参加する権威あるコンテストだ」と言うことだったので、二つ返事で同行させてもらうことにしました。
私の同級生である3年生は、最上級生ではありましたが決して商品としてお客様にお納めできるような縫製技術を習得できていませんでしたから、学生のコンテストでは見るべきものは全くないのは分かっていました。しかし職人と言われる人達が一体どんな技術を持っているか大いに興味がありました。残念ながらコンテストの名称、開催地は忘れてしまいましたが、泊りがけで行った記憶はないので、ロンドン市内の何処かだったと思います。
会場に入って、ハンガーに掛かっている作品を見て私は先ずがっかりして、自分の英語力の乏しさを嘆きました。そこには学生達が縫い上げたと思われるような決して美しく縫い上げられているとは言い難い洋服が並んでいたのです。「学生のコンテストだったンですね?」とチューターに確認すると「いや、全国から集まった職人達の作品だよ」と言われ「これが?・・・・」と一瞬唖然としたのを良く覚えています。
その後チューターが審査委員長を紹介してくれて話を訊く機会に恵まれ「審査をするにあたって、貴方にとって最も大切なのとは何ですか?」と質問したところ彼の回答は「モデルが服を纏ってドアを押して入って来た時に、『アッ、良い洋服着ているな』と感じられる服が私にとっての良い洋服ナンダ。勿論美しく縫い上げられているに越したことはないけれど、それは洋服の枝葉末節のことであって、洋服の本質とは関係ない。着装した人が動きやすく窮屈な感じがしない、そして体の動きに合わせて美しく纏わりつく服が良い服ナンダ」と言うものでした。
当時の日本のコンテストといえば、トルソー(人台)に着せた服を審査員諸氏が虫眼鏡片手に舐めるようにチェックして、「ウ~ン、綺麗に縫えている」と言って高得点を与える、縫製技術至上主義のコンテストでした。
洋服は人が着て動くものであるにもかかわらず、そこには洋服本来の機能とはあまり関係のない縫製技術だけが採点対象になっていたのです。いいでしょう百歩譲って縫製技術が優れていることも大切なのは認めましょう。しかし裁断はどうでしょうか。
何度も申し上げるように、洋服は人が着て動いてナンボの物です。腕の無いボディーに皺一つなく美しく下がるような袖を作る裁断をしたら、人が着用した場合窮屈で腕は動かせません。だいいち着ただけで見苦しい皺ができてしまいます。洋服に迫力が出ないからと言って人台に詰め物をして形を整え、皺が出たからと言って、運動量として残しておくべき余裕を取り去ってしまった洋服を、人は着ることができるでしょうか?
私は日本のコンテストに全く興味が無いので詳しくは分かりませんが、モデルの着装姿を採点に加えるようになったのは、どうもごく最近のように聞いています。
確かに美しく縫い上げられているに越したことはありませんし、できてはいけない皺が発生するのはいけないことです。しかし洋服でもっとも大切なことは着て美しいことと着心地です。正しい体型補正と正しい縫製が相まって初めて良い洋服ができあがるのです。ただ皺の無い洋服、ただ細かく縫われている洋服が良い洋服、と言った日本的な考えは間違っているのです。

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