History
高橋洋服店の歴史
嘉永4
創業者 高橋侍郎誕生(純孝の従弟叔父 のちに純孝は養子となる)
高橋洋服店の母体となる洋服裁縫業を創業した人物
横浜開港
鹿鳴館完成
明治16
3月10日 高橋次助誕生
大日本帝国憲法公布
明治23頃
高橋侍郎 銀座に洋服裁縫店を開業 現高橋洋服店の母体を築く。
日清戦争
明治31
高橋次助(のちに純孝と改名)15歳で侍郎を頼って上京弟子入りする。
店舗は京橋南紺屋町8(現 銀座1-4辺)
明治36
次助独立
日露戦争
明治40
次助 侍郎の養子となり、高橋洋服店の身代を継承 二代目店主となる。
明治45
次助、単身ドイツ ベルリンへ洋服研修のため留学。
大正2
ロンドン、パリなどを視察。
第一次世界大戦勃発
大正3
第一次世界大戦勃発のため志半ばで帰国。
京橋五郎兵衛町6番地(現 八重洲2-9辺)にて洋服店の営業を開始。
大正4
馨 誕生
ロシア革命
国際連盟発足
大正9
5月 京橋弥左衛門町15(現 銀座4-3-2)へ移転。
大正12
舶来服地の輸入卸業(後の高橋商店羅紗部)を開始。
関東大震災
大正14
現在地(京橋弥左衛門町1 現 銀座4-3-9)へ移転。
昭和3
弥左衛門町15の羅紗部建物を鉄筋コンクリート4階建てに改築。
羅紗部店舗兼倉庫。一部住宅。
世界恐慌
昭和5
洋服店の建物、鉄筋コンクリート5階建てが完成。
この年の3月、弥左衛門町が銀座西4丁目と表示が変わる。
昭和10
5月 株式会社高橋商店(資本金100万円)設立。
◼️昭和10年当時家族写真(中央:純孝)
◼️昭和12−13年頃の純孝
◼️昭和12-13年頃 純孝の仕事風景
◼️昭和12−13年頃コンテスト出品作品の写真
226事件
支那事変
大東亜戦争勃発
終戦
昭和21
復員した馨 三代目店主として洋服店再開。
昭和24
5月 馨長男純誕生
サンフランシスコ平和条約締結
昭和31
10月、現在地のビルの改築工事が完成。
東京タワー完成
東京オリンピック開催 みゆき族
アポロ11号が人類初月面着陸
札幌オリンピック開催
昭和51
7月 純 ロンドン カレッジ オヴ ファッション卒業 11月帰国
◼️担任のMR.GENTS(元HenryPooleのコートメーカー)
◼️LONDONの父親 MR.COLLINS(SCABALの役員)と
昭和54
株式会社高橋商店から株式会社高橋洋服店を分社設立(資本金300万円)
高橋馨社長に就任。
東京ディズニーランド開園
昭和60
スコットランド・エディンバラにおいて開催された
リード&テーラー社主催のロイヤル・ファッション・ショーに作品4点を出品。
昭和天皇崩御
東西ドイツ統一
平成3
馨の長男純 社長に就任。
平成5
株式会社高橋洋服店増資(資本金1,200万円)。
阪神淡路大震災
長野オリンピック開催
平成10
9月 現在地に、タカハシ クイーンズ ハウス竣工。高橋洋服店新店舗完成。
ハイブリッド・オーダー・システム グリーン・レーベルの受注を開始。
アメリカ同時多発テロ
平成15
創業100周年を迎える。
注文紳士服の縫製技術者養成のため「注文紳士服縫製技術教室」を開講する。
平成19
4月 翔 株式会社高橋洋服店入社
平成21
6月 翔ローマへ留学 カメラ エウロペア デッラルタ サルトリア 入学
同時にルイジ ガッロ氏の工房で縫製修業始める
東日本大震災
平成23
4月 純の著書 『黒は日本の常識 世界の非常識』
が小学館101新書から出版
平成24
8月 翔ローマから帰国 店務に付く
平成25
創業110周年を迎える
8月 創業110周年記念エスコリアル服地をリリース。
平成27
6月 オリジナルスパンカシミア服地をリリース
10月 髙橋洋服店の定番オリジナル服地をリリース。
チャコールグレイ無地、紺無地の2色を用意。
平成28
4月 銀座四丁目に新アトリエを開設
平成29
1月 定番オリジナル服地をリニューアルして販売開始。
3月 髙橋洋服店の夏の定番オリジナル服地をリリース。
チャコールグレイ無地、紺無地の2色を用意。
5月 オリジナルエスコリアル服地をリリース。
杉綾のチャコールグレイ、紺の2色を用意。
平成から令和へ
新型コロナ猛威ふるう
東京五輪・パラリンピック、
1年延期で開催
令和4
12月 ビスポークネクタイ販売開始
令和5
創業120周年を迎える
9月 120周年記念服地をリリース。
令和7
3月 翔代表取締役社長就任
同3月 純取締役会長就任