銀座 高橋洋服店

Essay

第30回 今どきの背広事情を考える その1

2020.02.17

仕事がら通勤電車の中で乗客の服装が気になります。失礼のないように観察していて思うことは、一言でいえば“服装の劣化”です。人々が着ている洋服、特にスーツはどうしてこんなに酷いことになってしまったんでしょうか。

昔は見なかったような劣悪な素材を使用した酷い縫製、しかも体形に合っていない背広。流行遅れのディテールだったり、オーヴァーデザインだったり。目を覆いたくなるような論外のスーツがなんと多いことか。どうしてこんな服を購入するのかな、と首をかしげたくなるのですが、販売しているから購入する人がいるわけです。あんな酷い服を販売する方も販売する方ですが、購入する方も購入する方です。またルール違反の着装法も氾濫しています。気になることは枚挙にいとまはありません。なんで人々の服装、特にビジネスマン(あえて男性の服装ということでビジネスマンとさせていただきます)の服装はここまで劣化してしまったのでしょうか?結局正しい服装とは何ぞや、という知識が製造者を含めた売り手にも買い手にも欠落してしまっているからではないでしょうか。

かつて、背広は誂える物でした。人々は注文洋服店に赴き、気に入った服地を選び採寸をしてもらい、自分のメジャメントと体形に合った服を誂えていました。既製服は生産量も少ないため色柄が限られ、しかも品質も悪く、“ツルシ”などと蔑視されていたのです。時代は変わり日本経済が高度成長期に入ると、背広を仕事着とするビジネスマンの増大に伴い背広の需要は急増します。その需要を賄うために既製品の生産量は飛躍的に伸び、同時に品質も向上してゆきます。そして、いかに注文服に負けないようなクオリティーの服を作るかに凌ぎを削っていたのです。確かに背広が誂える物から、購入するものに変わっては行きましたが、スーツを着る人達の服装は、そこまで乱れてはいなかったと思います。

そもそも男性の背広には、極端な流行の変化やデザインは存在しないはずの物でした。それがいつごろになるでしょうか。モード系のデザイナーブランドが背広型の紳士服に参入してきたことで、スーツの様子が一変してしまいます。本来なら存在しなかったはずのデザインがスーツに施され、その結果流行という概念が発生してしまいます。さらに価格競争が加わります。価格破壊という言葉のもと、トンデモナイ低価格のスーツが売られるようになりました。更に追い打ちをかけたのがクールビズです。背広を着ないビジネスマンを創り出してしまったのです。

私は、個人的にモード系のスーツを否定するつもりは全くありません。アフターシックスやウィークエンドに着るスーツなら楽しくていいと思いますが、堅い仕事のビジネスマンがビジネスシーンで着るのには首をかしげざるを得ません。

デザインが加わり流行という今までになかった概念が生まれた背広の誕生で“流行遅れのスーツ”というものが創りだされました。さらに価格競争の結果、超低価格のスーツが販売されるようになりました。

良く考えていただきたいと思います。2000CCの新車が50万円で売られていたら購入するでしょうか。そもそも2000CCの自動車が50万円で作れるはずがありません。どこかで手を抜くか粗悪なパーツを使わない限り不可能です。場合によっては命を預けることになる自動車がそのように作られたとしたら、誰も購入しないと思います。価格破壊と言っても物の価格には限界というのがあるはずです。スーツだって同じです。安く作るにしても限界があります。それをあのような低価格で作るには、いくつもの工程が省略されたり簡略化されたりした縫製と、異常な低価格の素材を使用しなければできるはずがありません。でも背広で命は落とさないので、購入してしまうのです。

こうして安かろう悪かろうのスーツが市場を席巻し始めました。その結果が通勤電車内の惨状を生むことになったのではないでしょうか。

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