第33回 ビスポーク ブーム(後編)

買い手が好みの服地を選び、採寸をしてもらい、ジャケットのフロントボタンの数や、ヴェントの種類、トラウザーズのフロントタック、裾の折り返しなど好みのディテールを伝えれば、思い通りの外見の服が出来上がってくる。確かに“注文洋服”ではあります。しかしこれを“注文服;ビスポーク”と呼んでいいのでしょうか?メーカーが持っている(例えば、シングル二つ釦ノッチドラペル サイドベンツ等という)パターンと(A4とかAB5とか言った)サイズ、そのサイズに最も近いメジャメントを当てはめて製品にする。従って例えばジャケットの着丈は好みを言えない。袖丈は調整してはくれるが、肘線の位置は変わらない。股下寸法は調整してくれるが股上はいじれない等々。一見モデル(着用者)によく合っているように見えるが、既製服のメジャメントフォローに過ぎない“オーダースーツ”が沢山ありました。
なんだか、プレハブ住宅やユニットバスと似ているような気がしてなりません。

私は常に「注文洋服の肝は体形補正であって、メジャメント(寸法)フォロー(補正)だけでは十分でない」と言い続けてきました。しかし最近のビスポークブームの火付け役となっている廉価な注文服は、ある程度の体形補正も可能になってきていますので、体形補正だけが本物の条件と言い切れなくなってきました。では何をもってして“本物の注文服”は違いを打ち出せるのでしょうか。一番の違いは手作業がどれだけ入っているか、ということだと言えましょう。仮に体形補正がある程度できているとは言っても、製品が流れ作業による工業製品である場合、“本物のビスポーク;注文服”とは言い難いと思います。伝統的な技術を身に着けた職人の手仕事がどれだけ入っているか。さらに業界用語で“丸縫い”と言われる、“一着の上着やトラウザーズを一人の職人が最初から最後まで縫い上げる”縫製システムを採用しているかどうか。此処が本物のプライドではないでしょうか。
既製品の工場では、裁断されて来た色々な服地のパーツを、或る作業員は一日中ポケットばかりを作り、他のある人は袖ばかり、背中ばかりを作っている人もいます。袖をこれもまた他の工程から出来上がってきた身頃に付ける人は終日袖付けの作業をする、といったように流れ作業で服が出来上がってゆきます。作業をする人たちは、確かに服作りの仕事をしてはいますが、失礼ながら決して“職人”と呼ぶことは出来ないと思います。
廉価なオーダー服は、既存の型紙にメジャメントの数値と簡単な体形補正だけが施されて、このような既製品とほぼ同じ工程で縫い上げられます。このような既製品の縫製工程であっても、どれだけ手作業が入ってくるか、例えば穴かがりは機械でなくて手作業であるとか、釦は手で付けているとかいうことで、価格が上下します。一方で既製品の工場とは一線を画した手仕事での下請け工場もあります。このような工場では、昔ながらの手仕事に近い方法で裁縫はしてはいるものの、袖は袖、背中は背中の専門の裁縫師が居て、上衣職人の手伝いをしています。このような縫製は“ブロック縫い”と呼ばれ、丸縫いとは区別されています。ブロック縫いを採用する理由はいくつかあると思いますが、まず全員が熟練の技術者である必要がありません。例えば袖だけ或いは背中だけを縫い上げられるようになるには、それほど長い経験がなくても可能です。従って熟練の職人は難しい部分の縫製に専念出来て、袖や背中などの製作に時間を割かなくても、出来上がったパーツを組み立てるだけで済みますので、一人ですべてを縫い上げる丸縫いよりも時間の短縮になりますし、全員熟練の職人を抱えるより人件費の削減も可能です。そして何よりも一人前の職人を育てるよりも時間も経費も掛かりません。しかしこれでは技術の伝承や職人の育成が出来ず、ヴェテランが引退した時点で服作りが出来なくなってしまいます。

建築ばかりではなくすべての手作業による物創りの世界同様、職人=技術者の人件費の高騰が製品の高騰を生み、製品の高騰は需要の減少、需要が減れば職人も減って、技術が消滅して行くという悪循環から、仕方なしにパーツごとに機械生産で作り上げる、形ばかりの注文生産がビスポークと呼ばれるようになってしまったり、仕方なしにブロック縫いというシステムを取り入れて、職人不足、経費節約をしたりして、受注生産ではありますが本来のビスポークから姿を変えてしまっているのは、服作りだけではありません。

私共ではすべて“丸縫い”に拘った服作りをしております。自社の職人を育て創業以来培われてきた技術伝承のために、縫製技術者養成のための教室も開講しました。すべて丸縫い制度を維持するための投資です。可能な限りミシン(ソーイングマシン)で縫う部分を少なくするように工夫していますが、ミシンの縫製の方が綺麗に見える部分はミシンを使っています。しかし私の洋服を見たあるイタリアのサルト(テーラー)は、“工業製品の様だ”と言いました。その意味は“綺麗に出来過ぎている”という事なのです。先に書きましたような手縫いの不揃いも手作業の証なのです。イタリア留学中の息子の洋服を見て、「ここは手作業でやるところだ」と言われたので「手でやっている」「手ではこんなにきれいには出来ないはずだ」「ではやって見せよう」と言って実演したところ「どうやったらこんなにきれいにできるんだ?」と驚かれたという経験談があります。

私共が作る本物の洋服は、ファッションアイテムとして流行に左右されないこと、また工業製品とは一線を画した職人技によって縫い上げられた製品である為、お手入れ次第で長年お召しになっていただける、サスティナビリティーあふれる服なのです。流行遅れ品、売れ残り在庫品として大量に廃棄され地球環境の破壊につながる服とは対極にあります。エコ・エシカル等環境対策が注目される昨今、是非本物の注文服の良さと価値を見直していただきたいと思います。

 

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