第18回 袖口のボタン考

そもそも一般的に呼ぶ上衣(スーツ、礼服、スポーツ・ジャケットを含めて)の袖口にはなぜボタンがついているのでしょうか。ナポレオン軍がロシア侵攻にあたって、兵士たちが袖口で洟をふくのを防ぐためにボタンを付けた、という説がありますが、些か眉唾ものらしいです。

中世以来、本来ならば袖口は縫い閉じられていたものだったようです。それを当時の王侯貴族や富裕層の人々が、飾りボタンで装飾を始めたことに由来するのではないか、と言う説がどうも信用できそうです。

前回、四つボタンの場合は袖口に近い二個、二つボタンの場合は二つとも本開きにする、と書きましたが、これはロンドンの学校で習った英国式で、腕捲りをするという本来の機能の他に、袖丈の修理ができる、という別のメリットがあるからだとも習いました。かつて、仕立ての良い服は親から子へ、或いは主人から従者へと譲られることも少なくなかったと言われていますが、その際に袖口のボタン・ホールをすべて本開き仕立にしてしまうと、袖丈のアジャストが出来ない、というわけです。しかしこれとてよく考えると多少の疑問が残ります。仮に袖丈を出す場合は、たとえば袖ボタン四個のときは、それこそ四個共本開きにしてしまえば済みそうですが、袖丈を詰める場合は一番袖口に近いボタンの位置を変えることはできないので、この方法ではうまくゆきません。ではどうするのか? その場合袖を一度身頃から外して、袖の上の方で袖丈を詰めることになります。作業の手間は大変ですが、無地や縞柄ならばうまくできます。しかし柄合わせが必要な格子柄の場合、この作業はできません。そんな場合はどうするのか・・・。結局完全な形での袖丈調整はできないのです。

最近のハイグレードな既製品は、袖丈を完成させずに仮仕立にしておき、購入者の腕の長さに合わせて完成させる方法を採用しているようですが、これとて厳密に言えば長さの調節によって、袖口の幅が微妙に変わってしまいますし、ひじの位置は変更できないという問題がないわけではありません。

さて、近年袖口のボタンの間隔が極端に狭められ、ボタン同士が重なり合っている袖ボタンを見ることがあります。これは資料によると、19世紀初頭、イタリア・ナポリのサルト(テーラー)ヴィンチェンツォ・アットリーニが初めて考案したと言われています。“ナポリ風袖口”と呼ばれるものであり、私が知る限りでは英国では見られません。

序ながらイタリアで見かけて、英国では見られない袖口の話をもう一つ。

最近は既製服に至るまで“本開き”が普及したため、ちょっとしたブームになっているのが袖ボタンのいくつかを外して上衣を着る着方です。袖口をちょっと捲り上げて手を洗い、外したボタンを掛け忘れた、という風情なのですが、その昔は既製品に本開きはありませんでしたから、「俺の洋服はビスポーク(注文服)」とさりげなく主張するにはもってこいでした。私の知り合いで、いつも右袖は二個、左袖は一個外しているイタリア人がいます。その話を某サビルロウ テーラーのカッターに話したところ、彼曰く「あれはトイレに行ってボタンを掛け忘れたのと同じさ」と冷たい反応でした。

さて皆様はどちらを支持されますか。

 

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